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Copyright All (c) 2005
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| 院長 岡井 康浩 Yasuhiro Okai |
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私を五体満足に生んでくれた両親に感謝します。私が日々治療させていただけるのも、健康的に育ててくれた両親のおかげです。
私がこの仕事につくことになったのは学生時代にバスケットボールをしていたことに由来します。中学からバスケットを始めたのですが、その頃に膝と腰を故障して体育の授業すら見学しなければならない状況が続きました。健康な時には全く気にならないことが、痛みと不安で精神的にも肉体的にもバランスが崩れてコントロール不能状態に陥りました。
どこの大学病院に行っても腰椎の椎間板ヘルニアと診断され、手術をするように勧められました。しかし、10代で腰にメスを入れることへの不安と恐怖が強く、評判の良い整体の先生を紹介いただき、治療を受けることになりました。なんとその結果、高校時代にバスケットで国体にでるまでに回復しました。(2年間、福井県まで治療に通い続けるのは大変でしたが・・・)本当に好きなことを思いっきりできる安心感と充実感。何物にも変えがたい体験でした。
この出会いをきっかけに医療に携わることを決意。何歳になっても皆様がやりたいことを思いっきりできる、心身ともに健康で豊かな人生のお手伝いをさせていただきたいという情熱のもと、治療させていただいております。
鍼灸大学・柔道整復専門学校卒業後、結婚。二児の父として奮闘中。師匠の下で様々な症例の治療経験をつみ、26歳の時にコナミスポーツ鰍フ運営する「コナミスポーツクラブ心斎橋整骨院」の院長として入社。翌年から全国30店舗の運営責任者として治療と運営に当たってきましたが、自らが理想とする治療・サービスとコミュニティ作りを目指し退社。同年、南堀江にて開業させていただきました。
この間、本当に多くの患者さんに育てていただき、今現在も育てていただいております。
バランス整骨院は地域ダントツ一番の治療院という自負と過信のもと、たくさんの方に支えられて成り立っています。
バランス整骨院はこれからもあなたのバランス整骨院であり続けます。来て頂いている皆様への責任として、これからもバランス整骨院はさらなる発展進歩、質の向上と共に、気楽に来院いただけるフレンドリーな治療院を目指します。どうぞ温かいお付き合いをお願い申し上げます。
長男・康太 4歳/長女・さわか 7歳
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| チーフアドバイザー 中沢 克夫 Katsuo Nakazawa |
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私がこの仕事につくことになったのは学生時代のクラブ活動に由来します。京都の田舎町に育った私はラグビー部に所属し、日々クラブ活動に明け暮れ泥臭いながらも幸せな毎日を過ごしていました。放課後の練習だけでは飽き足らず、朝は一人で朝練、昼も一人で昼練、授業中は練習に備えてイメージトレーニングと大好きなクラブ活動に打ち込める幸せを感じていました。
高校三年生の春、そんな私に事件が起こりました。練習中に膝の前十字靭帯断裂という怪我をしてしまったのです。どこの病院でも、高校生活でのラグビーは不可能と言われました。天国から地獄とはまさにこの事でした。身体の不調は、精神的な不調をきたし、私は全てにおいてバランスを失いました。
それから高校最後の大会に復帰することを目標に手術をして、リハビリを開始しました。まず驚いた事は手術をして長期間固定した事で、自分の足とは思えないほどに片足だけ筋肉が無くなりガリガリに痩せていたことです。早く筋肉をつけてラグビーがしたいと焦る反面、足は痛みで思うように動かずトレーニングに集中できませんでした。痛みさえ無ければ思いきりトレーニング出来るのに…。そう何度も思いました。私はその痛みを少しでも取り除くために多くの治療所を訪ねました。最初色々な先生に診ていただいてもなかなか痛みは取れませんでしたが、私の場合はいい先生にめぐり会う事が出来て痛みをとってもらう事ができました。これで練習に集中できるといううれしさ、感動は今も忘れることはできません。そして最後の大会にも出場することが出来ました。
この様な体験から、自分の体に合う治療をさがしている人、体の不調でやりたいことが出来ない人、体の痛みを諦めている人がたくさんいるのではないかと考える様になり、医療の道に進むことを決意しました。
鍼灸大学を卒業後師匠の下で修行をつみ、四天王寺体操部等の治療も同時に担当。現在は素晴らしい仲間と共にバランス整骨院にて勤務する傍ら、週末はタッチラグビーチームに所属しプレイヤー兼メディカルトレーナーとしても活躍。「この先生に出会えて良かった!」と思える治療、出会いにしたいという思いを持ち、日々精進しております。
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| チーフアドバイザー 藤井 克修 Katsuhisa Fujii |
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私が治療の世界に入ったのは、22歳の時です。当時、私はトレーナーの仕事に就きたくて、整骨院にて勤務していました。しかし自分の抱いていた理想と、現実とのギャップは大きく、仕事に行き詰まりを感じていました。それでも日々の仕事をしていく中で、ある日、転機が訪れました。70代半ばの女性がぎっくり腰になり、痛みのため立つことも出来ず、二人の男性に両肩を担がれて来院しました。その患者さんを当時の院長が15分程度で、立って歩いて帰れるように治療したのを見て、私は「手技や鍼のみで人の躰を治す」整骨院の仕事や、人間の持つ ”自然治癒力” という事に深く興味を抱きました。それが治療家を本格的に志した第一歩でした。
その後コナミスポーツクラブ心斎橋整骨院にて勤務し、マイオセラピー、関節運動学的アプローチ、ボディケア等の治療技術を身に付け多くの患者さんの治療にあたってきました。
時が経つに連れて、色々な患者さんを治療していくなかで、22歳の頃に抱いていたトレーナーになりたいという意識は、次第に薄くなり、日々、治療院に来院される患者さんの痛みがわずかでも消え、笑顔で帰ってもらう事が生き甲斐となりました。
バランス整骨院の一員となった現在も、この気持ちは変わらず、患者さんの苦痛を少しでも和らげる様に努力し、快適な生活を送る為の手助けができればと思います。
疑問に思う事、身体のケアの事など何でもお気軽にご相談下さい。
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